夏の定番クールビズに前身があったことを、どれくらいの人が知っているだろう?
1979年に第二次オイルショックを受けて、当時の大平内閣が打ち出した「省エネルック」がそれにあたるんだけど、これはクールビズに比べて全くと行っていいほど社会に浸透しなかった。
クールビズが成功した理由はオシャレだからの一言に尽きると思うけど、そう思うとある物事が今の社会に浸透するかどうかを左右するのは、本当に必要かどうかよりもクールかどうからしい。大事なのは思想ではなくファッション。文字通りの意味とは別に哲学とか思想の対義語としてのファション。
クールビズも省エネルックも「このままエネルギーを使いまくるとヤバいよね」という思想にほとんど差異はなかった(と思ってる)けど、クールビズは省エネルックに比べて、ネーミングもいいしスタイリッシュだし、要するにファッションとして優れていた。実態はどちらもただの「薄着」なんだけどね。
そうしてクールビズがすっかり市民権を得たように、上手くいけば既存ストックの再生・活用も社会に浸透するかも知れないな、と思う。ただしそれはあくまでファッションとして受け入れられるのであって、根拠をもって建替えではなく既存ストック活用を選択する建主はきっと少数のままなんじゃないかな、ふと思った。リノベマンションに住むとオシャレみたいな、ファッションとしてのリノベ。それって社会の成熟度合いとしてはどうなのよ、という疑問もあるんだけれど、それでもまぁ前に進んでいることに変わりはないし、一番怖いのはあと5年くらいたってファッションとしてのリノベすらも廃れることだったりする。
ただ、建築家だけはファッションとしてリノベを選択するべきではないとも思っている。オンボロビルをファッショナブルに着せ替えるという表層のリノベーションは、結局のところ建物の寿命を数年ばかり延ばすだけになり、スクラップ&ビルドを繰り返すという社会の大勢は変わらないと思う。
建築家だけは
設計の内容に責任をもつこと
躯体と向き合うこと
制度と向き合うこと
を止めてはいけないと思うし、これができるのは建築家しかいないとも思っている。だから、これらをきちっとやることで建物が富として蓄積できるんだということを示すことが、ぼく達くらいの世代からは必要なんじゃないかな、と思っていたりする。
そう言えば、既存建物の再生を勉強しようと志したのはもう10年くらい前のことで、その頃はまだまだ新築の時代だった。リノベーションばかりやってる人なんて建築家じゃないと多くの人からは言われていたような気がする。ただ既存ストックがあまることは目に見えていて、これからは建替えよりも改修が増えることは分かりきっていた。数年前からリノベーションとかDIYとかいった文字を目にすることが飛躍的に増えてきて、自分の持っていた問題意識が広く共有されつつあることは素直に嬉しいのだけど、建築家だけはファッションとしてのリノベーションがもつ危うさを自覚しているべきだとも思っている。