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アキヒロワタナベの再生建築について

 既存を活かすからこその価値を😃

プリズミックギャラリー「山岸邸」

プリズミックギャラリーで展示されている、青木弘司展「山岸邸」へ行ってきました。
辺りが暗くなりなりはじめ、開廊時間もあとわずか。肌寒くなってくる時間帯にギャラリーの扉を開いたのですが、結果的にこれが間違いでした。


導入文章
扉を開けて中に入ると、左側の壁に書かれた展示の趣旨文が目に飛び込んできます。
展示室の奥には白くて大きな模型が見えますが、まずはこの文章を読みましょう。
青木氏が目指す理想の状態はどのようなものか、
また、写真家であるとともに「山岸邸」の仮想のクライアントである山岸氏の作品には、
東日本大震災で被災した風景の中に、青木氏の理想とする状態が見いだされることが述べられています。

詳しいことはちょっと思い出せないので、プリズミックギャラリーのウェブサイトから文章を引用。
写真家・山岸剛氏が東日本大震災の後、2011年5月1日に岩手県宮古市田老で撮影した写真には、津波という絶対的な外部性に対峙する、建築の、ある究極の姿が描き出されています。本展では、この写真作品を山岸氏に展示していただくとともに、氏の作品に呼応するように、この展覧会に合わせて設計した住宅作品「山岸邸」を展示いたします。

文章を読み終わり壁の先を左に曲がると、次のひとつ目の展示品であるコンセプト模型に対面します。


コンセプト模型
模型はスチール製の抽象的な白いフレームで骨格が作られています。
全てのフレームは同じサイズの立方体で出来ており、それぞれのフレームの間にはガラスが挟み込まれています。
模型に向かって進むと、ガラスの表面に反射した自分が映ります。
ガラスといえば鏡面反射の効果がよく使われ、藤本事務所に在籍されていた時代の青木氏担当作品でも巧みに組み込まれています。
この模型でガラスが使われた意味は何でしょうか。


写真
写真家である山岸氏の作品です。東日本大震災に襲われた家屋が写されています。
津波に流された全てのモノは、それまで人によって決められていた配置をリセットされ、完全に無秩序な状態となっています。

その中で鉄骨造の躯体だけが津波前と同じ状態で立ち上がっています。
津波によって秩序をリセットされた世界のなかで、唯一人による秩序が維持されているモノ。

ここで、プリズミックギャラリーのウェブサイトから引用した文章を思い出してみましょう。本当は導入文章の良いのだけれど。
写真家・山岸剛氏が東日本大震災の後、2011年5月1日に岩手県宮古市田老で撮影した写真には、津波という絶対的な外部性に対峙する、建築の、ある究極の姿が描き出されています。本展では、この写真作品を山岸氏に展示していただくとともに、氏の作品に呼応するように、この展覧会に合わせて設計した住宅作品「山岸邸」を展示いたします。

世界で唯一人による秩序を保っているモノである建築物の周りを、他の全てのモノが等価に配置されて取り囲む。
このような状態に青木氏は自信の理想とする状態を見いだしたのか。

ところで、建築家の展示会なのに写真家の作品が展示されているのは何故でしょうか。
ギャラリーのウェブサイトから引用した文章からも、この展示会のタイトルが「山岸邸」であることからも、
この写真は、青木氏がこの展示会で表現したいものが写しているからです。

そのヒントは、コンセプト模型のガラスの謎にありました。
この作品を昼間に観た時のことを創造してみましょう。


本来の展示の姿
ガラスの表面には、道路の向こう側に生い茂った青山霊園の緑が映り込んでいるでしょう。ガラスに浮かんだ像の下には、
もう一枚のガラスに映り込んだ緑が浮かんでいます。さらにその下には。。
少し離れて模型全体を眺めると、白いスチールフレームの中に虚像と実像が幾重にも入り乱れて折り重なっている状況が発生していることに気がつきます。
その背後には、ギャラリーの窓ガラスの向こうに見える実像が広がっています。

この状態が山岸氏の作品と対面して配置されているこの意味は・・・?
山岸氏の写真とコンセプト模型とは対面して配置され、この二つが互いに対応関係にあることが了解される。

ここまでくれば、コンセプト模型が生み出している状況は山岸氏の作品の比喩であることが理解されます。
つまり、鉄骨フレームの中に実像と虚像がランダムに入り乱れているという状況は、
津波で等価にされた全てのモノが無造作に散らばっている山岸氏の写真を表している。と思われます。

模型のスチームフレームは、展示期間中ずっと白い立方体のままです。ただの1ミリも変化することはありません。
つまりこれは、津波の後に秩序を維持し残った鉄骨躯体です。

入り乱れる像は、津波によって場所をリセットされたモノたちです。展示期間の間は絶えず姿を変化し続け、1度として同じ表情を繰り返しません。
これは、津波によって秩序をリセットされて散らばる鉄骨躯体以外のモノたちに対応します。

半永久的に同じ状態を保ち続ける建築物と、絶えず変化し続けて2度と同じ状態は繰り返さない建築物以外のもの。
この状況は、建築物とその他のモノが相反する互いの性質を強調し合うことで生まれています。
つまり、「相対的」な世界なのです。

青木氏は、このような状態をつくりたいのではないでしょうか。

そのためには、半永久的な存在である建築物の「形式」が
刻々と変化し続けるまわりのモノの振る舞いに対してどのように作用するのか、
そのことに興味があるのだと思います。


プロジェクト模型
ここまで観ると閉廊まで残された時間もわずかなので、駆け足でささっと模型は観ることに。
真っ白に塗られた模型は、明らかに何かしらの「形式」を持っていることが表現されています。
(ちょっとRCっぽい)2枚の巨大な壁で挟まれた空間に、平面的なズレを生じさせながらヴォリュームが重ねられています。木造のようにも見えるヴォリュームの内部には大きなメンバーの躯体が貫通しています。
何かしらの「形式」をつくっていることは明らかなのだが、この建築を構成している「形式」が読み取れない。この「形式」の設計意図を汲み取ることなんて、雲上の作業のように思われてしまいます。


この建築はどのような「形式を持つのか?」
その「形式」は、どのように「相対的」かつ「可変的」なのか?
コンセプト模型の確認も含めて、もう一度見に行こう。

そう思いながら、暗くなった外苑西通りを帰りましたとさ。

では、また。