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再生建築の背景2/建設数の変遷


これまでの話


1)再生建築の背景/建物ストックがあまりはじめた

建物がたくさん建てられた時代、建物がたくさん建てられた理由


下記のグラフは建物建設量の推移を示します。


*1


このグラフを見ると、あることに気が付きます。
それは、このグラフに4つの”山”があることです。





戦災復興と高度成長期(〜s47):早く、安く、大量に


最初の山は昭和30年頃からはじまっています。これは、第二次大戦で焼け野原になった街を復活させようという、戦災復興を目的として起こった現象と言われています。
また、この時代だけは公営住宅とUR住宅が多く、国が主導して住宅を大量生産した時代だったことが分かります。戦災復興が十何年も続いたとは考えにくいですし、住宅不足という問題も高度経済成長期が終盤になる頃にはだいぶ改善されていたと思われます。昭和40年代後半ごろには建設量はピークを迎えていることもそのことを裏付けています。住宅開発のトレンドも”量から質”へシフトし始めていたように思われます。そこへ昭和48年に第1次オイルショックという事件が起こり、この時代とどめをさされて終わりを告げます。




バブル(s61〜h3):建物が投資の対象に


次の山はバブルがはじまった昭和61年ごろに始まります。3点式のいわゆるバス・トイレ一緒のワンルームマンションが大量に建設されたのもだいたいこの時代です。この時代から建物が投資の対象となり、建物は必要だからではなく儲かるから、という理由で建てられるようになります。

その証拠に、この時代は公共住宅とUR住宅の建設量は横ばいで、民営住宅はもの凄い勢いで増加しています。前の時代の山とはまるで対照的ですね。




震災復興(h7〜h8):壊滅した街の復興


バブルがはじけた平成3年ごろから数年後、次の山は平成7年と8年にやってきます。この時期は阪神・淡路大震災が起こった時期です。壊滅した街の復興なので、公共住宅、UR住宅、民営住宅のいずれも建設量が増加していますね。



都心回帰(h12〜h15) :都心部のマンションバブル


統計局によると、平成12年は15ぶりに東京都区の人口が増加し、都心に人が集まりました。



統計局HP国勢調査トピックスより

平成12年10月1日現在の東京都区部の人口は813万人となり、平成7年と比べて2.1%の増加となった。東京都区部の人口は昭和60年調査以降減少を続けていたが、今回は15年ぶりに増加し、都心回帰の現象が見られた。


それに伴い、この時代では東京をはじめ大都市でマンションが大量に建設されました。
最近はオリンピックに向けてまたバブルです。昭和40年代後半までの高度経済成長期以降は、バブルが起きるたびに投機的な動機で建物が建てられているということですね。



以上、今回は

・建設量が多くなる時期は4回あり、それぞれ以下のとおりである。
・戦災復興と高度成長期(〜s47):早く、安く、大量に
・バブル(s61〜h3):建物が投資の対象に
・震災復興(h7〜h8):壊滅した街の復興
・都心回帰(h12〜h15) :都心部のマンションバブル

というお話でした。



では、また!

*1:国土交通省・持続可能社会における既存共同住宅ストックの再生に向けた勉強会 第1回資料 共同住宅ストックの現状と再生の課題より