”リノベ派”を牽引する
嶋田洋平さん(株式会社らいおん建築事務所代表取締役)が
はじめて著書を出版され、今回行われたのはその記念イベント。
本日の3331での藤村さんとの対談。ツイッターのハッシュタグは、 #藤村嶋田対決 です。https://t.co/sVf9acsyfq リノベリングのエンジニアリング技術を結集して、ハッシュタグ付きで呟いたら、動画の下にテロップで流れるみたいです。たぶんw
— 嶋田洋平 (@shimadayohei) 2015, 6月 25
対談の相手は藤村龍至さん(藤村龍至建築設計事務所代表)。
今日は15:00から鶴ヶ島市役所にて打ち合わせ。19:00から3331にて嶋田洋平さん対談。
— Ryuji Fujimura (@ryuji_fujimura) 2015, 6月 25
お2人がご自身の著書をお互いに贈り合っているみたいです。
ほしい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり
- 作者:嶋田洋平
- 発売日: 2015/05/28
- メディア: 単行本
- 作者:藤村 龍至
- 発売日: 2014/09/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
司会の倉方俊輔さんも「まったく対照的な2人」と言っているくらい、
何からなにまで対照的に見える2人でした。
再生建築の評価の枠組みを。歴史の中での位置づけを。
今だと「リノベーション」はそれだけで肯定的にとらえられちゃうので、それだけで悪く捉えられちゃう「巨大開発」と似て評価の枠組みがない。それは教育、ジャーナリズムにおける批評の問題だが、その枠組みは誰かが作ってくれるものじゃないから当事者が作るべきだと思う。 #藤村嶋田対決
— Ryuji Fujimura (@ryuji_fujimura) 2015, 6月 26
これはものすごく大事な指摘だと思います。最近は「リノベ」って言っとけばなんとなく是とされる感がある。が、それはただリノベがブームになって今ちょっと加熱してきて、リノベが政治的に強くなってるだけのこと。リノベそのものを評価・議論する枠組みはまだまだ整備されていない。このままブームに乗って突き進めば、”あの時はリノベがブームやったね”なんていう未来になるだろうと。
そうならないためには、
- リノベを評価する枠組みをつくる。
- 歴史の中での位置づけをする
ことが必要。そのとおりだと思います。
じゃあどうするのよ?
『既存』を誤読すること
僕らの身のまわりにあるモノというのは、ふつう、ある目的に最適な形・素材・寸法をしています。「飲む」ためのコップ、「人を乗せて走る」ための車、「座る」ための椅子...20世紀は、”ある目的には最適な形・素材・寸法があって、その最適解を見つけよう!”だった時代です。コルビジェの「住宅は住むための機械だ」という言葉はそれを象徴していますね。
リノベではそういった機能主義的なアプローチとはまったく別のつくりかたをします。もともとある目的のためにモノがつくられたんだけど、その目的の方がなくなっちゃって、モノだけが『廃墟』として残る。この『廃墟』に当初とは別の目的を見出す。そうすることで、新築ではつくれないモノが生まれてくるんじゃないか、と思います。既存をあつかうことでしかできないデザイン。
機能と形の関係を忘れてみる
参考になるのは、オノ・ヨーコさんによる、コンフォート・チェアというアート・パフォーマンスです。僕は5年くらい前にテレビで初めて見ました。
「イスを使った事のない人が初めてイスを見た時の行動とはどんなものなのか。イスとコミニュケーションをとってみるというものです。」
(世界一受けたい授業HPより)
これをみて”これに何の意味があるの?”と困惑するのは僕だけではないはずです。それは、僕らの頭のなかで椅子のあのかたちと「座る」という機能とが、分かちがたく結びついているからです。”椅子なんやけ座るためのものやろ!”と。
そこから一歩だけ引いてみて、機能とかたちの関係を忘れてみた時に、僕はこのパフォーマンスが椅子のあのかたちを「座る」という機能から解放するものだったと理解しました。と同時に、今までの自分が縛られたモノの見方をしていたことにも気づかされました。
このように、
『既存』をがんじがらめにしている機能(病院とか、学校とか、住宅といった用途)とかたちの関係を忘れてみることで、『既存』を新築時にあてはめられた機能から解放できる気がします。そのようにして既存をもっと自由に捉えることで、新築には考えられない/できない建物が生まれる気もします。前のエントリで書いた、藤本さんの設計方法にも似ている気がしなくもない…
設計教育にリノベーションを取り入れること
リノベだからこそできる設計の方法やデザインがあると思うのですが、「リノベだからこそできる」ことが何なのかが分かるには、「新築でできる」ものを理解しておく必要があります。その点、
あと、設計教育にリノベーションを取り入れることに対して。リノベーションが社会的な課題だけど、設計教育においては「建築的なデザイン思考を教えること」が先決であってモチーフが新築かリノベかという話に置き換わると問題がずれちゃう。そのことについては? #藤村嶋田対決
— Ryuji Fujimura (@ryuji_fujimura) 2015, 6月 26
については、
- 技術論を教える意味ではリノベは教育に取り入れられるべき
- ただし、新築ではどのようにして建築をつくるのかをマスターした後
だと思います。
あとは、今求められる機能を満たすためのベストな解が、数十年スパンという時間軸ではマイナスのものになり得ることが分かってきたので、将来にどのような既存を残すかという視点で設計をできるようになるためには、新築派でもリノベ派でも必要だと思います。
以上、今日は
- 『既存』を誤読して、機能とかたちの関係を忘れてみることで、既存を自由に捉えられないか
- リノベだからこそ出来るかたちとか設計方法があるだろうから、それが評価の枠組みとなるのではないか
- リノベを教育に取り入れる場合は、新築を学んだ学生を対象とするのが良いのではないか。新築を理解することは、何がリノベならではなのかを理解すること。
というお話でした。
では、また!