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アキヒロワタナベの再生建築について

 既存を活かすからこその価値を😃

生きる意味が分からなくなったら読んでほしい ー海辺のカフカ(村上春樹)ー

10年前の自分がmixiに書いたことをほぼそのまま載せます。



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人間は自分自身である「自己」とそれを取り巻く「環境」で成り立っていると考えれば、メタファーとしてのこの物語が大分解る気がします。



少年。この物語の主人公であり、「家族に囲まれていた過去の環境」を捨て、家出をすることでそれを払拭する新しい「環境」と「自己」を模索する自分探しの旅に出る。



ナカタさん。猫と話しながらホジョで生活する老人という自己を収めるべき「環境」は持っている。しかし小学生の頃の事件以来彼は「自己」を失ってしまった。「自己」を持たない人間のフレームである彼は「環境」に対して人間的な反応はなく、すべての事象はナカタさんのからっぽな身体を透り抜けてしまう。彼はただただ受動的に、川の水のように周りに身を任せるのみである。通常の半分しかない影の濃さは「自己」の喪失を示唆しており、リテラシーを望む彼は象徴的に「自己」を欲しているように思える。



佐伯さん。彼女はしっかりとした「自己」を持っている。しかし彼女はその「自己」を「恋人といた頃の過去の環境」の中に置いて来てしまっている。つまり彼女の「自己」は未だ15歳の頃の世界という「過去の環境」を今に引きずりながら、その中を生きているということだ。絵を見ている15歳の彼女は「過去に置き去りにされた自己」の象徴であり、彼女が見ている絵はその「彼女の自己が置き去りにされた過去の環境」の象徴である。「恋人のいなくなった今という環境」を受け入れられない彼女はナカタさん同様、影の濃さは人の半分しかない。



大島さん。複雑な性別などにより「自己」はおぼろげである。自分は一体男なのか女なのか。ぼんやりとした自己の輪郭を定めようと、若い頃はもがいたのだろう。完全な闇の中で自分自身と向き合い、「自己」の輪郭をはっきりさせた彼(彼女?)から少年が学ぶことは多い。



ホシノ青年。上の個性的というか極端な人たちを見ているとプロレタリアという「環境」で一番平凡に生きているのは彼か。長距離ドライバーとして人生を削る毎日ではあるが、自分の矛盾には気づかずに生きてきた。それでも周囲の「環境」に反発を感じる彼は、すべてに身を委ねて生きるナカタさんに魅かれる。


様々な人々が自分にないものを求めあうことで、この物語は綴られていく。人は自分に足りないものを探し求める―文中に何度か出てくる言葉だ―というのが作者が言いたかったことのひとつなんじゃないかと思った。


★★★


人は常に何かを捜し求めていくのか。どうしたら人は満たされるのか。それとも満たされることは永遠にないのか。それならば何の為に生きているのか。死なない為に生きる、人生とはそんな延命治療のようなものなのか。そんな疑問に少年は「でもまだ僕には生きる意味がよく分からないんだ」とつぶやく。



「あなたに私のことを覚えていてほしいの」「あなたさえ覚えていてくれたら、ほかのすべての人に忘れられてもかまわない」そう言って佐伯さんは絵を少年に託した。


これが答えのひとつだと思う。


人は互いを伝達しあうことで存在の意味をもつ。”文明は伝達だ”というのは作者である村上春樹が他の作品で使っている言葉だ。すべての「自己」は他者に認識されることでその存在が成り立つ。



そう考えると生物学的には死んでしまった佐伯さんもナカタさんも、他者の中で行き続けているのでは。ホシノ青年はナカタさんならどうするかなと考えるだろうし、少年は佐伯さんならどう感じるだろうと思うだろう。それはけっこう大きなことだと思う。つまり、これからもナカタさんはホシノ青年の中で、佐伯さんは少年の中で生き続けるってことだから(だから佐伯さんは少年に絵を託した)。


そんなようにして、大切な人の中で生き続けることや大切な人を忘れないことが生きる理由のひとつのように思えた。


〈入り口の石〉や〈森〉など、まだまだ分からないことは沢山あるのでもう一度読んでみようと思います。



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海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

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では、また!