どうして人を殺してはいけないのか? ー手紙(東野圭吾)ー
話題の本「絶歌」は読まれましたか?
- 作者: 元少年A
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2015/06/11
- メディア: 単行本
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神戸連続児童殺傷事件の加害者である「元少年A」が、事件にいたる経緯や犯行後の社会復帰にいたる仮定を綴った手記。
事件当時のぼくは小学生でしたが、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る「少年A」の異常な残虐性みたいものが連日クローズアップされて報道されていたことを覚えています。
あれだけの批判が渦巻いても、フタを開けてみれば1位。批判を向けられるべきは、著者と出版社「だけ」でいいのか。 / 連続殺傷事件の手記「絶歌」が週間売り上げ1位に販売自粛の書店も
http://t.co/eVi8litPgQ #NewsPicks
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 6月 16
「絶歌」読了。
昨日の夜買ってきて一気に読んだ。
やっぱり読むべき物じゃ無かったかな。
ナルシズム。母性への異常な執着。好奇心。
そんな単語しか読み終わって出てこなかった。 pic.twitter.com/RSpERZ2xjA
— まちより (@seikawi) 2015, 7月 2
【絶歌】読んだ人の感想 〜酒鬼薔薇聖斗〜
http://t.co/6iJQnepO6q pic.twitter.com/09MHfut0nx
— オリヴィア沙紀 (@chiaki95159) 2015, 7月 12
ぼくは「どうして人を殺してはいけないのか?」と尋ねられたとき、うまく説明できる自身がありません。いろいろな人がいろいろなところで説明していますが、とりあえず自分が考えたこととして、10年前の自分がmixiに書いたことをほぼそのまま載せます。
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/10
- メディア: 文庫
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もう10年も前の話。
小学生の時、担任が「どうして“人”っていう言葉と“人間”っていう言葉があるか知ってる?」って話をしてくれた。もちろんクラスの誰も知らないし、いちいちそんなことに気づいてるヤツもいなかったと思う。
その先生によると、もともと人と人間は大きな意味の違いがあって、
“人”は分類学的な意味でのホモ・サピエンス、
“人間”は他の人とのいろいろな関係(つまり世間)を持つ存在
のことだったんだそうな。(ちなみに昔は「人間」を「じんかん」って読んだらしい。)
【手紙】
犯罪加害者の親族の視点に立って、その心情の動向を丹念に追った作品である。東野圭吾が舞台挨拶で沢尻エリカと会い、あまりに綺麗なので舞い上がってしまったという 。 pic.twitter.com/5ffo0sBJL0
— オススメ超名作映画! (@introduceM) 2015, 7月 3
ストーリーの内容は、高校生である主人公の兄が『弟の大学の授業料を用意しなければ』という愛情と義務感から盗みに入り、誤って人を殺してしまうことからはじまる。「強盗殺人犯の弟」という枠泥にまみれることで主人公はこれまでよりずっと理不尽で多難な人生が始まり…。
今週は寄稿をもう一本掲載。元受刑者でブロガー、イノシシさんの原稿です。 / [寄稿, 書評] 「絶歌」1人の元犯罪者としての感想と「反省を理解できない脳」について。 : まだ東京で消耗してるの? http://t.co/9P8GgogJnL
— イケダハヤト (@IHayato) 2015, 7月 9
最近、冤罪事件がニュースで報道されて、改めてこの本(の言ってること)の大事さが身に染みる。
人を(生物学的な意味でも社会的な意味でも)殺すということは人間にとっての本質である“間”を断ち切ることになる。(そんな“間”の抜け落ちた状態を、先生はマヌケと呼んでいた。)そのことを気づかせてくれ、再確認させてくれたこの本。人が今どんなにラッキーか、よく分りました。
人間にとっての本質が“間”である以上、ぼくたちはもっと利他的に生きなければならないし、そうすることが結局自分に帰ってくると思うのです。
では、また!