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どうして人を殺してはいけないのか? ー手紙(東野圭吾)ー

話題の本「絶歌」は読まれましたか?

絶歌

絶歌


神戸連続児童殺傷事件の加害者である「元少年A」が、事件にいたる経緯や犯行後の社会復帰にいたる仮定を綴った手記。


事件当時のぼくは小学生でしたが、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る「少年A」の異常な残虐性みたいものが連日クローズアップされて報道されていたことを覚えています。


神戸連続児童殺傷事件






ぼくは「どうして人を殺してはいけないのか?」と尋ねられたとき、うまく説明できる自身がありません。いろいろな人がいろいろなところで説明していますが、とりあえず自分が考えたこととして、10年前の自分がmixiに書いたことをほぼそのまま載せます。



手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

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もう10年も前の話。


小学生の時、担任が「どうして“人”っていう言葉と“人間”っていう言葉があるか知ってる?」って話をしてくれた。もちろんクラスの誰も知らないし、いちいちそんなことに気づいてるヤツもいなかったと思う。


その先生によると、もともと人と人間は大きな意味の違いがあって、
 “人”は分類学的な意味でのホモ・サピエンス
 “人間”は他の人とのいろいろな関係(つまり世間)を持つ存在
のことだったんだそうな。(ちなみに昔は「人間」を「じんかん」って読んだらしい。)



ストーリーの内容は、高校生である主人公の兄が『弟の大学の授業料を用意しなければ』という愛情と義務感から盗みに入り、誤って人を殺してしまうことからはじまる。「強盗殺人犯の弟」という枠泥にまみれることで主人公はこれまでよりずっと理不尽で多難な人生が始まり…。



最近、冤罪事件がニュースで報道されて、改めてこの本(の言ってること)の大事さが身に染みる。


人を(生物学的な意味でも社会的な意味でも)殺すということは人間にとっての本質である“間”を断ち切ることになる。(そんな“間”の抜け落ちた状態を、先生はマヌケと呼んでいた。)そのことを気づかせてくれ、再確認させてくれたこの本。人が今どんなにラッキーか、よく分りました。


人間にとっての本質が“間”である以上、ぼくたちはもっと利他的に生きなければならないし、そうすることが結局自分に帰ってくると思うのです。


では、また!