手描き図面・巨大模型・仮想空間/明治大学卒業設計の公開審査会をみて
こんにちは。渡邉です。
先日、こんなツイートをしました。
明大の卒業設計公開講評会みてるなう。
— 渡邉 明弘/Aki Watanabe (@Akkun_Nabechan) 2021年1月31日
単一の敷地・建物・設計者で完結するものから、不特定多数が漸進的に改築(解築)し続けるものへと建築を変えていこうとする作品が多い印象☺︎https://t.co/i82bcfXNRw
個々の作品レベルの高さが際立っていましたが、
それ以上に印象的だったのは、僕が学生だった頃とは明らかに異なった、
時代の傾向のようなものを感じた点です。
ということで今日はそれをメモしておくです。
大きな単体から小さな複数へ
卒業設計(というか大半の建築設計)は、
- 一人(あるいは1グループ)の建築家が、
- 一人(あるいは1グループ)の依頼者から要請されて、
- 単一の敷地に、
- 単一の建物を、
- 一回で建てる
というものだったと思います。
一方で明治大学の学生さんたちが描いて見せたのは、
既存建物を複数の人たちが部分的にリノベーションし続けるものや、
数十年かけて建物を解体し続けるものなど、
断続的に手が加えられ続け、
その度にプロジェクトに関わる主体が変わり、
計画の対象になる敷地・建物の範囲や状態も移ろうような
作品が多い印象を持ちました。
形をとどめ続ける永続的なものを作るというより、
世の中が変わり続けることを下支えする存在を目指している、
と言ってもいいかも知れません。
模型がない
もちろん本当は作ってるに違いありませんが、
ウェブ審査では展示できません。
模型を使わないプレゼンボードだけの審査会、
たぶん初めて見た気がします。
明大卒業設計の公開審査、作品もだけれどプレゼンに模型が使われなかった事が新鮮だった。
— 渡邉 明弘/Aki Watanabe (@Akkun_Nabechan) 2021年2月3日
図面の枚数と密度を競った時代、模型の巨大さで勝負した時代を経て、画面上・仮想空間内でプレゼンする時代へという転換が起こりそう。
2020年度はそんな年として記憶されるのかななんて思ったり☺︎
今年はコロナ禍での緊急・暫定的な処置でしたが、一方で
ひょっとしたら模型なしの傾向はコロナ以降も加速したり?とも思います。
五十嵐太郎さんが著書『現代建築における16章<空間、時間、そして世界>』の中で、
- 卒業設計では手描き図面の枚数と密度を競っていたものだけれど、
- CADが導入されて図面の量産が容易になり、成果の差別化を図る手段として模型が巨大化している
という批評をされています。
▼興味ある方はこちらからどうぞ
現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)
ところが「今年から模型は一切使えません!」というルール改正が行われたり、
プレゼンシートのスケールを予想できない(審査員がどんなサイズの画面で見ているか分からない)という副作用が生まれたりして、
学生はこれまでとは違った方法で自分の作品を差別化する必要に迫られているように思います。
手描きの時代から模型の時代を経て、仮想空間の時代が始まるのでしょうか?なんて・・・。
何となく、教員や審査員もコロナ禍により生み出された新しい時代の作品や表現を期待しているようにも感じられました。
審査員のプレッシャーたるや。。
明治大学の卒業設計が毎年これだけのクオリティなのか、今年が特にハイレベルだったのか分かりませんが、
どれも圧倒的なエネルギーが費やされ、独自性や同時代性を持ち、プレゼンとしての完成度も素晴らしいものばかりだったと思います。
それだけに、問われるのは作品だけでなく審査員や審査そのものでもあるように思えました。力作が揃うと選ぶ方の力量が問われるという。
だからライブで公開するのはなかなかのプレッシャーだったはず。
こんなことできる学校が他にいくつあるんやろ。明大マジですげぇ。
明大の卒業設計講評会、プレゼン、視聴者のコメント、審査員の講評、投票・審査の議論と投票の結果・経緯が全て公開されていてすごく良かった。
— 渡邉 明弘/Aki Watanabe (@Akkun_Nabechan) 2021年1月31日
審査員の人たちはプレッシャーかも知れないけれど☺︎笑
ということで、
今年の卒業設計シーズンは、学生・教員双方にとってハードモードみたいですが、
ライブ公開の審査が増える(はず)という良いこともあるもんだな、
と思った次第。
審査の内容はアーカイブ動画が公開されているので、
ぜひ見てみてね。
▼ここから見られるよ
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