再生建築の全てを解説するブログ

 既存を活かすからこその価値を😃

ヨーロッパ旅行シーズ2

ヨーロッパのうちとそと


ノートルダムで感じた、ウエットな内部と厳めしい外観のギャップは、なんだか都市の住宅にも当てはまる気がする。

Parisの街中を歩くと、道の両側に建物の外壁が隙間なく垂直にそそり立っている。Parisの住宅は(ほとんど)全てが集合住宅だったが、これらは狭い敷地に出来るだけ広い面積を確保しなければならないという都市住宅の宿命を負っている。従って両サイドの壁は左右の住戸と共有し、通りに面する外壁は敷地境界線ギリギリまで押しやられる。この外壁から、ノートルダムが持っていたあの突き放すような威圧的なものを感じた。

特に玄関ドア。ヨーロッパの都市住宅で唯一木が使われている部分がこの扉だが、この扉が日本の住宅からは考えられないぐらいに大きく、20代前半の俺でもある程度の体重をかけないと動きそうにない重量感を持つ。まるで門のようだ。これはFirenzeで撮った写真なんだけど、ヨーロッパの建物はかなりの割合でこのような扉を構えている。

旅行初日、Paris市内についたのが夜の9時とかだったにもかかわらずホテルの予約をしていなかった。手頃なホテルを数件まわるもどこも予約がいっぱいで、この外壁と扉がどこまでもよそよそしく見えて、とても心細かった。

Parisの街を歩きながら、この外壁の中身がどうなっているのか、ずっと気になっていた。正面の大扉は明らかに共用の通路に続いているけれど、その先はどうなっているのだろう?広間でもあるのだろうか?はたまた大きな階段室になっていたりとか?ある日街を歩いていて、たまたま建物の中から人が出きたその瞬間に、扉の隅間から向こう側の世界を垣間見ることが出来た。


暗い廊下の向こうに中庭が広がっているとは思ってもいなかった。


外部の人間は決して入るこの出来ない領域。上から光が降り注ぐ中庭には、植物さえ生えていた。ささやき声さえ聞こえてきそうなの空気感は、騒がしいこちら側とは明らかに別世界だった。それを見た瞬間に思った。

ノートルダムみたいだ・・・。

Palazzo Strozziでも


castel vecchioでも


喧騒とした都会から一歩でも中に入ると、そこにはしんとした静寂な空気が漂っている。まるで深く何かを考え続けている賢者みたいだなんて思ってしまった。変なことを考えてしまったとも思ったけれど、結局はそれが西欧の人の気質なのかも知れない。哲学的で、無限の深さを内に秘めるような・・・。