レムコールハース氏トークショー、可能な限りまとめてみる。
@SienaHirao: 先ずは藤村さんの質問からスタート。この本は社会全体、大きなスケールに対して主体的に関わっていくという1960年代の状況下で生まれた、思考のための本。建築はもっと介入して行くべきという示唆が含まれる。最も注目したいのはシンガポールソングライン。かつてのプロジェクトジャパン→
@SienaHirao: →いわゆる列島改造論が現代ではプロジェクトアジア。シンガポールから始まり、日本まで続く一連の改造。という中で日本が抱えるアイロニーは最も巨大なプロジェクトが福島第一原発だということな訳だが、果たして、日本はこれから何をすべきだろうか?
@SienaHirao: コールハース氏まず、この本は出た時からインターネットを意識しており、本自体が、ハイパーテキスト構造であることを言っておきたい。インターネットとさらにビッグデータの存在は若者にとっては新しいライフスタイルに繋がるものだ。さて、日本で現在見られる建築活動を見ると非常に→
@SienaHirao: →小さなスケールのものが多い。また、集団で何かするとき、リサーチ、行動、それのすくい上げ、といった構図が見られるが、これは60年代に理想とされた姿ではない。私は日本のこのようなスモールスケールを扱うやり方にシンパシーを感じると同時に危うさを感じる。政治的に人が関係を持てない→
@SienaHirao: →議論出来ないというのは退化であり、問題だ。アジアは生命力や躍動感はあるが、欧米諸国同様、政治的な力はやはりない。
@SienaHirao: 藤村さん日本ではタレントが政治家になるという事を起点にスモールネスがビッグネスに繋がる希望が出てきたと考えられないか?
@SienaHirao: コールハース氏その様な、優しさ、などのスモールネスは良いものだが、やはり危うさがある。我々はこれから我々の想像をはるかに超えるスケールのものを相手にしなくてはいけない。そしてその様な相手にとっては金儲けが第一優先だ。そんな時にgentleでは対応出来ない。全てを圧倒する様な→
@SienaHirao: →組織体に対抗しなくては行けないとき、今までの伝統的な手法は通用しない。敢えてこの言葉を使わせてもらうなら、それはまるで「津波」なのだ。
@SienaHirao: 南後さんの質問英語版は95年のメディアを感じるものであり、ネットサーフィンをする感覚で読んだが、日本語版は精読するものといった印象。Google、FB、TSUTAYAなどビッグデータを扱う民間企業は社会全体に影響を与えている。建築もあるいは建築≒都市となりうる時代に→
@SienaHirao: →果たして建築はどうすべきだろうか?コールハース氏は60年代を如何に評価し次に向かっているのだろうか?
@SienaHirao: コールハース氏日本語版はただの翻訳ではなく20年以上の我々の対話と理解の末にある。画像イメージを入れなかった点が重要で、是非文書に集中して欲しい。また、私はライター出身であり、どんな人間にもなれるのだということを言っておきたい。建築家は建築家でしか居られないが、わたしは→
@SienaHirao: →この本もライターとして書いているのだ。※南後さんの2つ目の質問についてはこの時流れて、後ほどちょっと触れます。
@SienaHirao: これを受けて南後さんアーキテクトが何かを構築しなくては行けない義務から解放され思考する自由が与えられたのが現代だろう。そういう観点から見ると、3.11以降立てない建築やコミュニティーデザインが流行しているが、この点はどうだろうか?
@SienaHirao: コールハース氏建築が出来るのは形を与えることと、形を歪めることだ。医師は治すことしか出来ないが建築は破壊も生産も出来る。現在の状況を見ると、この両義的な職能の有意義さは30年前より高まっていると思われる。
@SienaHirao: これを受けて藤村さんこの会場を見て、自らの存在意義を確認したいために来ている人が多いと思う。この本を読むと建築家を拡大解釈できそうだ。建築士でなくても建築に関わっていれば建築家と言えそう。コールハース氏は建築士=建築家と捉えて欲しいのか、もっと広く建築家を捉えて欲しいのか?
@SienaHirao: コールハース氏祖父が建築家だったから、昔から親しみのある分野であった。25.6歳の時、モスクワで構成主義に触れ、異なる人生の提案をする、人がどう生きるかを考えるという点でアーキテクトとライターに差はないと気づいた。また、三大巨匠とはラジカルさに大きな差があり比較にならない。
@SienaHirao: これを受けて南後さんアーキテクトが何かを構築しなくては行けない義務から解放され思考する自由が与えられたのが現代だろう。そういう観点から見ると、3.11以降立てない建築やコミュニティーデザインが流行しているが、この点はどうだろうか?
@SienaHirao: コールハース氏建築が出来るのは形を与えることと、形を歪めることだ。医師は治すことしか出来ないが建築は破壊も生産も出来る。現在の状況を見ると、この両義的な職能の有意義さは30年前より高まっていると思われる。
@SienaHirao: これを受けて藤村さんこの会場を見て、自らの存在意義を確認したいために来ている人が多いと思う。この本を読むと建築家を拡大解釈できそうだ。建築士でなくても建築に関わっていれば建築家と言えそう。コールハース氏は建築士=建築家と捉えて欲しいのか、もっと広く建築家を捉えて欲しいのか?
@SienaHirao: コールハース氏この二択は正直辛い。というのもこの二択はどちらも私の想定内であり、想定内である以上それはどちらでもよいのだ。反応は想定外であれば答えようと思う。
@SienaHirao: 藤村さんの質問、存在意義ではなく、自己肯定です。すいません。続けます。
@SienaHirao: コールハース氏(自己肯定したいという点に関して)ここで敢えて今まで話したことのない事をいうならば、私は色々な状況に直面したとき恐怖を感じる。そこから少しずつ勇気を集めて打開するのだ。恐怖を理解し、誠意を持って向き合うことが重要だ。
@SienaHirao: 観覧者から質問建築的思考で物事を解決する、その限界を感じたことはあるか?
@SienaHirao: コールハース氏NO謙虚に限界はあると言うことも可能だ。強いて言うならヨーロッパの委員会で周囲が皆大物政治家だった時は建築は通用しなかった。これをやりたければ政治家になるしかないと感じた瞬間だった。
@SienaHirao: 藤村さんこの本は啓蒙書ではなくあくまでalertだ。その点が黒川紀章と違うとこで、黒川紀章は非常に啓蒙活動に精を出し、政治家になろうとした。
@SienaHirao: コールハース氏私はライター出身だとダメ押ししておきたい。元々道徳的な啓蒙書が嫌いで、従って道徳的なものではなく、新しい建築を作っていけたらと思っている。