再生建築の全てを解説するブログ

 既存を活かすからこその価値を😃

昭和史

既に投稿したと思っていたのですが、下書きで放置してました。。
先日の「幕末史」に続いて半藤一利さんの「昭和史」という本をご紹介。
ちきりんさんも取り上げていますがめっちゃいい本。


ぼくは1986年というギリギリ昭和に産まれた世代ですが、昭和の記憶は1ミリも残っていません。
だから昭和っていうと自分が確かに生きていた時代ではあるんだけれど、何があったか分からない、そんな感じを持っています。
日本史の授業とかでは「第二次大戦がありました」くらいで終わっちゃった感じなんですよね。


それに比べてこの本は「どうして、何が起こり、結果どうなっかのか」を分かりやすく語りかけてくれます。以前めちゃくちゃ読みやすい日本書紀を紹介しましたが、この本と共通しているのが「語りかけるような口調で書いてあること」です。



獲得と喪失の繰り返し


半藤さんの歴史観は、ひとことでいえば「40年ごとの獲得と喪失の繰り返し」です。
ざっくり言うとこんな感じ。

  • 1865年:朝廷が攘夷を諦め、開国を決意。近代日本のスタート。

    ↓   (獲得の40年)近代国家をつくる

  • 1905年:日露戦争に勝利し、列強国の一員に!!!

    ↓   (喪失の40年)日本は破滅に向かい

  • 1945年:連合国に無条件降伏・・・。

    ↓   (獲得の40年)経済大国をつくる

  • 1985年:バブル直前「Japan as No1」!!!

    ↓   (獲得の40年)失われた40年へ??? ← 今ココ

  • 2025年:???


本書はこのなかで、
1905年に日本が日露戦争に勝利して列強国の仲間入りを果たしてから
1945年に連合国に無条件降伏するまでのうち、後半の20年について
詳しく書かれています。


この間に日本はなにを失ったのか、それを理解するためにはまず前の40年で獲得したものを整理する必要がある。
半藤さんは、朝廷が攘夷から方針転換して開国を決意した1864年(慶応元年)を、近代日本のスタート地点としています。(1964年に開催された東京オリンピックのちょうど100年前だったのか。。。)



開国させられた日本が最初の40年で得たもの



先に結論を言うと、日露戦争でぼくたちが得たものは「満州」です。下図の黄色部分です。(画像はwiki「満州」より)


この頃は東南アジア国々がどんどん欧米列強の植民地にされていた時代です。そういった国々に負けないように、もっと言えば植民地にされてしまわないように、とにかく急いで多少の無理はあっても背伸びした国家建設をしたのですね。


開国するという決意(1864年)からちょうど40年後の1904年〜1905年に、日本は当時の世界5大強国の帝政ロシアとの戦争(日露戦争)にかろうじて勝つことができました。
このとき初めて、世界の国々から「アジアに日本あり」とぼくたちは認めてもらうことができたのです。背伸びした国づくりがなんとか上手くいって(つまり植民地にされずに)日本は近代国家をつくることに成功したということですね。


つまり近代最初の40年は、「ひとつの近代国家としての地位を獲得した期間」と言えそうです。
それと「満州」とどう関係があるのか?それは、この満州の獲得には以下3つのポイントがあったからです。
1)国防の生命線

  • 北国であり不凍港の確保がかなりの重要事項だった帝政ロシアが清に強引に乗り込んで武力をもって清と条約を結び、遼東半島の大連・旅順を自分のものにしていた。
  • 日露戦争に勝った日本は満州におけるもろもろの権利を得て、さらにそれらを守るために軍隊を置く権利を得た
  • ロシアが南下してきて様々な諸権利を奪い返しにくる危険があった。

2)資源供給地

  • 鉄、石油、錫、亜鉛などをアメリカや(イギリス植民地の)東南アジアからの輸入に頼っていた。
  • 満州を得たことで石油以外は英米への完全依存からいくらかは脱却できた。

3)人口流出先

  • このころは人口が増えまくっていた


日露戦争に勝って名実ともに列強国の仲間入りを果たしたけれど、まだまだそのポジションは安泰とは言えない。苦労して獲得した「強国の一員」というポジションを脅かす存在が、中国とロシアです。

  • ロシア:1917年にロシア革命が起こり、帝政ロシアが倒れてソビエト政権が樹立。
  • 中国:1912年に清朝が滅んで中華民国ができる。(帝政ロシアに戦争で勝ったからといって、ロシア・清国の間で結ばれた条約を、日本が勝手に変えて満州の利権をもっていくのは気に入らない)。でも反発する軍閥なんかもいて内戦状態でぜんぜん国としてはまとまっていない


まだまだ満州という北の防波堤が完成していない時に、ロシアと中国という大きな国が新しい国づくりをはじめていました。
そのことに当時の日本のリーダーたちは非常に警戒していたんでしょうね。
以下、本書からの抜き出しです。

要するに昭和というのは、中国が統一に向かっているのを怖れると同時に、日本が最大の仮想敵国とみていたロシアも新しい国づくりをはじめるといった、日本を取り巻く環境がどんどん悪くなっていく、国際情勢が激動しはじめた時にスタートしたわけです。しかし、強国になった日本を保持し、強くし、より発展させるためにはどうしても朝鮮半島満州を押さえておかなければならない。未来永劫に。それにはどんどん悪化しつつある状況にどう対応するべきか、問題をどう処理すべきか、これが日本にとっての大使命であり、昭和の日本人がもっとも解決を急がれる命題としてつきつけられた。ここから昭和がはじまるのです。


半藤さんが語るように、植民地化されるかもしないという危機を脱するために、開国からせっせと頑張ってやっと手に入れた「強国の一員」というポジションを安泰なものにする必要があったのです。そのために、北の2大国、中国とロシアからの脅威をストップさせるために、「満州」が必要だったのです。(実際は朝鮮も併合しているので満州だけではありませんが。)


長かったですが、ここまでが最初の40年で日本が獲得したものです。
ここから本題の大正・昭和になるのですが、ぼくたち日本人は”自分たちは堂々たる強国ばい”と調子にのってしまい、世界中を相手にするような戦争をはじめ、40年かけて明治の父祖が懸命につくってきた国を、同じ40年かけて破滅に導いてしまいます。
日露戦争の勝利(1905年)からちょうど40年後が1945年の終戦です。(ちなみにハチロク世代のぼくはその40年後に生まれている。。。)



ひとおり書こうかと思っていたのですが、かなりの分量になるのでここまでにしますw
詳細は本書で!



では、また。



はじめましての方へ

最近よく読まれている記事