平成23年度下半期の芥川賞受賞した作品です。
何回読んでも判らない!
— 渡邉 明弘/Aki Watanabe (@Akkun_Nabechan) 2018年6月3日
選考委員もよく判らなかったらしいw#円城塔 #道化師の蝶 #芥川賞 pic.twitter.com/tK1QpjjJPw
いろんな方がおっしゃる通り、むちゃくちゃ分かりにくい。「道化師の蝶」というタイトルのとおり、文章を読めば読むほど、内容やストーリーは蝶のようにひらひら舞って一向に手のひらに収まる気配がない。何度読んでも意味が分からない。「何でこんなのが芥川賞なんだろう・・・・。」そう思う読者は多いはず。
実際、芥川賞の選考委員はこんなコメントを残しています。
彼らも内容が判ってないというwww
作品の中にはいって行くのが誠に難しい作品だった。
うまく読むことが難しい作品であり、素手でこれを扱うのは危険だという警戒心が働く。しかしこのわからなさの先に何かあるのではないか、と考えさせる風が終始作品の奥から吹き寄せて来るのは間違いがない。したがって、支持するのは困難だが、全否定するのは更に難しい、といった状況に立たされる。
注文をつけるとすれば、読む者に対して不必要な苦労をかけぬような努力は常に払われねばなるまい。
黒井千次氏(態度不明、賛成か反対か読み取れず)
一見いや一読したぐらいでは何も確定させないぞ、という意思を、文学的な志だと受け取るには、私の体質は違い過ぎる。それが「位相」の企みであると判ってはいるが、このような努力と工夫の上に何を伝えたいのかが、私には解らない。
にも拘わらず最後に受賞に一票を投じたのは、この候補作を支持する委員を、とりあえず信じたからだ。決して断じて、この作品を理解したからではない。
高樹のぶ子氏(消極的な賛成、授賞に異議はなし、やや評価)
一方、作者の円城さんはこのような反応に対して、受賞時のインタビューで次のように答えられています。
質問:「難解」「読者を置き去りにしている」という批判をどう受け止めますか。
円城:当然全然読めないという人もいるでしょうし、それには「すみません」と謝るしかありません。ストーリーや登場人物の心理に没入して読むのが小説のオーソドックスなあり方でしょう。ただあえて言わせてもらえれば、僕だけでなく、エンジニアをしているような人間が今の日本のメインストリームの小説を読んで楽しいかというと、たぶん楽しくないんですよ。<中略>
彼らに対して、ストーリーだけでなく、もっと構造や部品そのものを面白がってもらう小説のあり方もあるんじゃないか、と思うんです。感動を与えるばかりが小説の役割ではなくて、普段の生活では考えてもみないことが考えられるようになる、というのも小説の力だと思います。少なくとも、僕にとっては小説を読んでいて一番快感なのはそこなんです。
作品の中に入ってもらうよりも、作品をとおして感動してもらうよりも、着想を得るきっかけとして欲しいということなんですね。作品のテーマが着想を得ることだったりしたのはそういうことなのですね、と理解。
あと、作者が「構造や部品そのものをおもしろがってもらう」と表現するだけに、文章自体は美しいと思います。たとえばこの書き出し。個人的は村上春樹さんの小説にも劣らず魅力的な書き出しだと感じます。
旅の間にしか読めない本があるとよい。旅の間にも読める本ではつまらない。なにごとにも適した時と場所があるはずであり、どこでも通用するものなどは結局中途半端な紛い物であるにすぎない。
・・・ とここまで書いていたら、友人から「円城塔、分からんよね。俺は春樹も分からん」と言われたw
村上春樹を連想する人、多いのかな...???村上作品も分かりにくいと言われればそんな気もするのですが、あっちの世界は「すっと入っていける」んですよね。それが円城ワールドとの違い。10年くらい前は村上ワールドにどっぷり浸かってたな〜。
あ、選考委員による各コメントはこちらをどうぞ。石原さんの酷評っぷりが凄まじいww
円城さんは、こういった評価になることも想定済だったのかもしれないし、その上で「先生方がおっしゃる『セオリーどおり』の小説の楽しさだけが全てじゃないんですよ」と選考委員にチャレンジを吹っかけたのかも知れない、なんて思ったり。インタビューではとても分かりやすい言葉で説明されているわけですから。
自分の感性に正直になることって大事だな、と思った次第。
では、また。
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