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戸畑図書館について

学生時代と勤務時代にお世話になった青木茂さんがぼくの地元である北九州市でつくった『戸畑図書館』という作品を取り上げたいと思います。

https://www.instagram.com/p/xI96eUhPGi/

戸畑図書館へ。

 

1.序

この建物は1933年に旧戸畑市の市庁舎として建設されたものを、築81年を経た2014年に図書館へと転用したものです。用途変更に加えて耐震診断と耐震補強がなされていますが、歴史的・文化的価値のある外観を保存するために補強工事は全て屋内で行われています。社会的には優れた耐震補強の方法として評価されているのですが、ぼく自身はむしろひとつの建築作品としてこの建物をとらえたいと思っています。

 

『戸畑』の話をする前にまず、磯崎新の『大分県立図書館』と『プロセス・プランニング論』を取り上げたいと思います。磯崎さんへの尊敬や感謝の想いを私は勤務時代に度々聞かされてきました。その事を考慮すれば、図書館を設計することになった青木にとって『大分』と『プロセス・プランニング論』は既存建物と同じ位に正面切って向き合うべき対象であったことは、想像に難くありません。

 

 

2.大分県立図書館とプロセス・プランニング論

『プロセス・プランニング論』は1962年、北九州市が発足する前年に発表された論文です。『大分』は磯崎にとって正面切って設計に取り組むことができた初めての仕事であり、建築家としてキャリアをスタートし始めた磯崎が自己確認の手続きの一環として建築設計における自分なりの方法論を記した文章です(空間へ、河出出版、p79)。

 

この論文はいわゆる成長する建築のためのものでした。将来的な人口増加が見込まれるという時代や原則として蔵書が増加し続ける図書館というビルディング・タイプに対応すべく、建物のデザインを損なわずに増築することを可能にした、というのがその主旨です。

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大分県立図書館(現アートプラザ) アートプラザHPより

これは建築の造形にも表れており、将来的に想定される建物を「切断」したのだと説明されます。さらに「切断」とは実体の造形に関することのみではなく観念的な解釈も用意されています。すなわち、設計与件や建築主の要望は常に流動的なもので、それにあわせて設計される建物の姿もめくるめく姿を変えてしまい、いつまで経ってもあるべき建物の姿を固定することが出来ません。そこで建築家に出来ることと言えば、流動的な仮想の建築をある時点で「切断」して現実のものとすることだ、と磯崎は言います。

 

そう言えば私も勤務時代に似たような問題意識を持ったことがあります。当時私は都心の商業ビル再生の設計を担当していたのですが、テナントビルであるが故に入居するテナントが未定のまま設計を進める必要がありました。付け加えれば、テナントの賃借契約は1棟丸ごとなのかフロアごとなのか、テナントは複数階にまとめて入居するのか各階ごとに別のテナントが入居するのか、そう言った点も未定のままでした。つまり設計の最重要項目である依頼主の要望が不明な設計だったのです。さらに衝撃的なことに諸事情によって既存建物が売却されることになり設計途中で施主が変更するという事態にもなりました。そう言った状況で設計を進める方法論を自分なりに(こっそり)模索していました。

 

話を元に戻します。

 

 

3.『大分』を反転した『戸畑』

以上のような方法論と作品をもって建築家としてのキャリアをスタートした磯崎に対して、『戸畑』は(今のところ)青木の集大成のひとつであり磯崎の『大分』を様々な位相で反射・反転したような建築である、と私は考えています。

ここからはそのようなポイントを5つほど取り上げます。

  1. 新築|改修
  2. 外部|内部
  3. 実体|虚像
  4. 切断|延長
  5. 終末論|再生論

 

3−1.新築|改修

最も分かりやすい反転は『大分』の新築に対する『戸畑』の改修です。

もう少し突っ込むと、『大分』の設計ではスケルトンに成長の方向性を与えることに力点がおかれており「現在」だけでなく「未来」にも意識が向けられています。磯崎は『プロセス・プランニング論』の中で転用についても少しだけ触れており、『大分』の設計中は将来的な別用途への転用も想定されていたと思われます。実際に現在の『大分』は図書館でなく「アート・プラザ」という名称になっています。

一方の『戸畑』では既存スケルトンの調査をしなければそもそも設計に着手できない点で必然的に「現在」だけでなく「過去」を扱う必要が生じています。

『大分』が将来的な成長の方針を決めるべく補助線を引いた建築だとすれば、『戸畑』は数十年前に引かれた補助線を読み取ったような建築だと言えます。

そして、前設計者が引いた補助線を探す作業や前設計者が思いもよらなかった補助線を発見することが再生建築の楽しさでもあります。

 

 3ー2.外部|内部

上記のような2人のスタンスの違いは建物の表現対象にも現れているように思えます。『大分』は時間軸を象徴するようにくねくねとチューブ状の部材が空中を走り回り、その端部は「切断」された時間軸のように切断面が露にされています。同じく磯崎による『北九州市立図書館』ではこのデザインがさらに押し進められ、ヴォールトの加工が一筆書きに連なり、端部がやはり切断されています。

 

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北九州市立図書館 北九州市HPより

一方で、『戸畑』は歴史的価値のある建物の外観を保存するという条件が設計の出発点であるため、『大分』と同様のデザインが出来ません。そこで、外部で建築論を象徴した磯崎に対して、青木は内部に建築論を展開しようと考えました。(と私は考えました)。『北九州』を連想させる連続アーチで構成された耐震補強はその一旦のあらわれのようにも見えますが、最も注目すべきは閲覧室の両面鏡張りです。

https://www.instagram.com/p/xJDlbjBPNa/

内部も見せていただけた。アーチの耐震補強。館長さん、ありがとうございます!

 

 

3−3.実体|虚像

この閲覧室は直方体のリニアな形状をしており、短辺側の2つの壁が鏡面張りにされています。これらの鏡が向かい合わせに配置されることで、虚像が虚像を生み、どこまでも反射が続いています。その様子はまるで閲覧室が無限遠の彼方まで続いているように見えます。

チューブを切断するという『大分』の分かりやすい造形に対して、『戸畑』では鏡の中で永遠に続く虚像の空間が生み出されています。リテラルな『大分』に対するフェノメナルな『戸畑』という見方も出来るでしょう。または、仮想空間を消去した『大分』と仮想空間を生み出した『戸畑』と言い換えることも出来ます。

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戸畑図書館 北九州市HPより

 

3−4.切断|拡張

表現する対象においては、このように『大分』外部における実体、『戸畑』では内部における虚像という明確な対比が存在します。一方で表現の方法としては『大分』では「切断」というキーワードが設定されていますが、『戸畑』ではそのようなキーワードが提出されていません。ここでは仮に「切断」を反転させたものとして「拡張」というキーワードを設定したいと思います。

『大分』が「切断」しているものは、冒頭で紹介したように実体レベルでの時間軸と観念レベルでの仮想建築のふたつです。つまり、『戸畑』でも実体と観念のそれぞれの世界で何かが「拡張」されていると思われます。

 

ひとつめの実体的な世界では、青木自身も言及しているように時間軸が「拡張」されています。向かい合った鏡がお互いを写像し合うことで虚像がどこまでも連続している様は、一度「切断」された時間軸を再び「延長」させていることを象徴しているのです。

 

ふたつめの観念的な世界における「拡張」は私が知る限りどこにも解説されておらず、自分で想像するしかありません。ここで思い出されるのは、『大分』では際限なく拡張する設計与件の対象を限定させることが設計のテーマであり、仮想空間を消去することにより建築を実体化させるという作業の象徴として「切断」が用いられていた、という点です。『戸畑』をこの反転として理解するならば、限定されていた設計与件の対象を拡張させることが『戸畑』における設計のテーマであったとは考えられないでしょうか。実際、設計与件を仮定した後に建築の形が決定されるという順序で設計が進められた『大分』に対して、『戸畑』では既存スケルトンに対して与件が満たされるように設計するという逆転現象が生じています。ある建物のかたちはある与件の唯一にして最適な解として一般的には理解されますが、そうではなくどのスケルトンも様々な与件を満たしうることを、『戸畑』の虚像は暗喩していると考えるのは、あまりにも深読みが過ぎるでしょうか。

ちなみに「切断」という言葉には迷いを断ち切るという意味合いも込められているのだろうと思うけれど、(たぶん)武道には全く縁のなかった磯崎が「切断」という言葉を使い、一時期は道場を持っていた青木が武道っぽい言葉を使わないという反転も面白い。

 

3−5.終末論|再生論

『プロセス・プランニング論』では冒頭から終末論について語られるのですが、終末論を考える『大分』に対して、ある意味では終末を迎えた建物の再生を考えた作品が『戸畑』であると言えます。この、新築により終末論が考えられた『大分』と改修により再生論が考えられた『戸畑』という構図についてはおいおい書いて行きたいと思います。

 

 

 

では、また!

 

 

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