再生建築の全てを解説するブログ

 既存を活かすからこその価値を😃

コロナで民主主義を暴走させないために/遅いインターネットを読んで

遅いインターネット ブログ

 

こんにちは.渡邉です.

タイトルの通り『遅いインターネット』(幻冬舎宇野常寛)を読みました.

 

久々に読書感想文を書いてみようと思ったのだけれど,大半が読書メモになっちゃいました.

以下から本文です.

 

民主主義の危機

本書が主張していることを簡単にまとめるとすれば,次のように言えるだろう.

前半では今日の2つの問題ー人間が共同幻想からの自立を試みた結果としての「肥大化した自己幻想」と情報技術の発達がもたらした「拡大した個人の発信力」ーが結びついたことで,「民意の暴走」という民主主義が抱えていたリスクが顕在化していることを指摘し,後半ではその処方箋として「肥大化した自己幻想」に対しては「自己幻想を制御する術を身につける」こと,「増強された個人の発信力(をもたらした情報技術)」に対しては「情報社会下の意思決定システムを構築すること」を提案している.

前者は個人の,後者は社会の問題である.別の視点に立てば前者は文学の,後者は技術の問題である.そして,「肥大化した自己幻想」という個人的・文系の問題と「増強された個人の発信力(をもたらした情報技術)」という社会的・理系の問題の両方に横断して立ち向かう試みが,本書のタイトルでもあり宇野さんの現在進行形の活動でもある「遅いインターネット」である.

 

「遅いインターネット」とは批評である

終盤まで読み進めないと分からないが,「遅いインターネット」とは要は批評のことである.批評とは自分と対象の距離感を記述することである.この批評という行為を通して,安直にリツートを量産して「肥大化した自己幻想」を満たす(つもりになる)のではなく,5年10年先の読解にも耐えうるような良質の読み物を残すことが,宇野さんが「遅いインターネット」と呼ぶ行為である.つまり,批評という行為が「肥大化した自己幻想」をうまくコントロールし,情報化社会で自分の信じたい幻想を脊髄反射的に量産することを避けることにつながるという趣旨である.*1

以上が本書の中で提出された問いと答えである.ここからは,「文学の問い」と「技術の問い」をそれぞれもう少し詳しく見ていこう.

 

文学=文系の問題 自己幻想にとらわれるぼくたち

まずは文学の問題から.「自己幻想」という言葉は,宇野さんによれば吉本隆明なる人物によって提出された概念である.吉本の言説を要約すれば「20世紀は情報環境とイデオロギーにより強化された共同幻想*2が個人を抑圧していた時代であり,個人は家庭という対幻想にアイデンティティを置くことで共同幻想から自立できるのではないか」というものである.その試みは宇野が指摘するように,単に共同幻想が国家から企業などに変わっただけなで,しかも性差別的な女性の所有を前提とした自立ごっこでしかなかった.また,トップダウン的な共同幻想からの自立を目指す過程が,ボトムアップの共同体への埋没が誘発するという側面もあった.

80年代になると,高度経済成長を背景とした「消費」に注目し,モノの所有という自己幻想が個人を共同幻想から自立させるのではないかと考えるようになった.

このように我々は共同幻想から自立するために自己幻想を利用し続けたのだが,いつの間にかその自己幻想の方に捉われるようになってしまった.そこまで自己幻想を肥大化させた要因の一つが,情報技術を背景とした個人の発信力の強化だ.*3

ここで,問題は理系の世界に接続される.

 

技術=理系の問題 SNS

ぼくたちは共同幻想から自立したくて自己幻想に注目していたはずなのに,今度はその自己幻想に囚われてしまっている.それは個人の発信力が強化されたことで自己幻想が肥大化したからである.*4そう言った事を書いた.

では,個人の発信力の強化が自己幻想を肥大化させた理由はなんだろうか.

吉本が三幻想の概念を提示した時代,それぞれは逆立(それぞれ反発しながら独立して存在すること)していた.ところがSNSの世界では自己幻想(SNSのプロフィール)は共同幻想(タイムライン)に組み込まれ,対幻想(メッセンジャー)は自己幻想どうしを接続させ,「いいね」やリプライという二者間のコミュニケーション(対幻想)はタイムライン(共同幻想)に漏れ出してしまうといったように,三幻想の逆立性を排除して相互に接続してしまう.そして,このような三幻想の融解は,自己幻想に他の二幻想が従属するかたちで発生している.自身のない人が「いいね」やタグ付け(対幻想)に執着し,タイムライン(共同幻想)の潮目を読んで匿名アカウントで安全地帯から世間に「物申す」ことで自分を慰めているように.

このように,対幻想と共同幻想が自己幻想を充実させる養分と化しているのがSNSなのである.そして,このSNSの構造が自己幻想を肥大化させているのである.すべてのSNSの基本がプロフィールであることからもSNSが自己幻想を充実させるためのものであることは明らかだし,このようなサービスが世界中に浸透していることが,僕たちが自己幻想の記述にとらわれていることをよく示している.

 

文学・技術の問題 自己幻想だらけのSNSが引き起こす,民意の暴走という民主主義の危機

情報技術の発展が個人の発信力を強化してSNSの登場がその流れを加速した.共同幻想から自立しようともがいていたらいつの間にか自己幻想に嵌ってしまった.「個人・文学」の問題と「社会・技術」の問題をまとめるとこういうことである.そして,この2つが融合したことで民主主義が機能不全を起こし始めている.この「民主主義の危機」が本書が提示している問題点である.

ひと昔前は,インターネットの登場がより良い議論をもたらす事を期待する論調もあった.しかし,前述したように現実のインターネット空間は「いいね」や「リツイート」をたくさん得るためだけの投稿が量産される場になってしまい,今やネット上で見られる多くの投稿は自己幻想を満たすための(あるいはマーケティングに基づくPV数を稼ぐための*5)ほとんど内容ゼロの記事ばかりである.もちろん勉強になる記事もたくさんあるけれど.

SNSの世界では三幻想が融解していると書いた.つまり,自己幻想のために量産された記事は拡散されて時に共同幻想(世論)となる.アラブの春ブレグジットも基本的にはこのメカニズムにより現実となったものである.これらは十分な議論の末の合理的な判断でも明確な意思の伴う決断でもなく,ネット上の刹那的な熱狂に大衆が動員されただけなのだ.このネットポピュリズムがどのような結果を招くのかはアラブの春から明らかだ.数十年にも及ぶ独裁政権を民衆が打倒した際には大きく民主主義に向かって前進するのではないかと世界中が中東に期待した.でも,政権打倒後に待っていた現実はISなどのカルト勢力の台頭とそれに伴う内戦だった.ブレグジットの行く末も明るくないことは初めから分かっている.

 

このように,増強された個人の発信力と肥大化した自己幻想がSNSで融合し,「動員」の革命による非合理的な判断が「民主的に」なされているのが現代という時代である.民主主義には民意が暴走して進む道を間違えるリスクがある.*6このリスクがネットポピュリズムの台頭により肥大化した結果、民主主義が機能不全に陥りつつあるのだ.

とは言え民主主義よりマシな方法は今のところない.だから,どうやって民主的かつ合理的な判断をするかを考えなければならない.

 

処方箋は三つ.1つ目は民主主義と立憲主義のパワーバランスを後者に傾けること,2つめはシビテックのような新しい民主主義の回路を構築すること,3つ目が「良い」メディアを作ることで人間と情報の関係を再構築することである.この「良い」メディアがつまりは「遅いインターネット」のことであり,冒頭で述べたとおり具体的には批評のことである.最大瞬間風速を大きさを目指すのではなく,長期的な読解に耐えうる文章を残すこと.批評という自分と対象の距離感を記述する行為を通して「肥大化した自己幻想」をうまくコントロールし,情報化社会で自分の信じたい幻想を脊髄反射的に量産することを避けることが本書の目指すところである.

 

政府に主権を差し出しそうとする大衆

もうひとつの「民主主義の危機」として,「自ら政府に主権を差し出す大衆」を考えるべき時期なのかも知れない.

NHKの調査では,62%もの人々が「政府や自治体が外出を禁止したり休業を強制したりできるようにする,法律の改正が必要だ」と回答したとのことである.

感染症の拡大を防ぐため、政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする、法律の改正が必要だと思うかNHKの世論調査で尋ねたところ、「必要だ」と答えた人が62%に上り、「必要ではない」と答えた人の27%を上回りました。

外出禁止や休業を強制できる法改正必要62% NHK世論調査 | NHKニュース

営業自粛を要請された人々が「自粛要請では責任の所在や判断基準,保証の有無が曖昧だから国主導で規制と補償をして欲しいし,そのためには法改正もやむを得ない」と言うのならまだ分かる.でもそれだけで6割もの人が規制が必要だと回答する事態にはならないだろう.飲食関係に限らず多くの人が国による規制と補償を望んでいると言うことなのだ.

道理には叶っているようにも思えるけれど,見方によっては危機に瀕した大衆が主権を国家に渡そうとしているようにも見えなくない.要は「従うから食わせてくれ」と.同じようなことは堀江さんやイケハヤさんも主張している.

堀江さんは治安維持法により言論が統制された事で太平洋戦争に日本が突き進んだ事を指摘し,イケハヤさんは危機に晒された国民が「強いリーダー」による「支配」を望むある種の世界的なトレンドを指摘している.日本については日銀が大企業の大株主になりつつあり,物いう株主になる事で経済が国有化するリスクについても触れている.SF的な未来感だが想像できてしまうのが怖い.

 

youtu.be

youtu.be

 

 

 

では、また.

 

  

▼具体的なご依頼・ご相談はこちらからお願い致します

www.aki-watanabe.com

 

▼自己紹介です

d.hatena.ne.jp

 

▼ブログスタートのきっかけ

saiseikenchiku.hatenablog.com

*1:つまり宇野さんが提出しているのは個人的・文系の問題に対する回答である.人文学の人だから当たり前っちゃ当たり前かも知れないけれど.

*2:人間が社会を機能させるために不可欠な虚構(魂,神,国家など)

*3:他にはSNSなどのプラットフォームによるタグ的な概念により,対幻想も共同幻想も自己幻想に回収されるという構造が生まれたことも重要である

*4:正確に言えば,たぶんぼくたちの中には元から自己幻想があって,個人の発信力が強化されたことで顕在化しやすくなったのだと思う

*5:こちらはプラットフォーム側の検索・表示アルゴリズムで多少は対応できるかも知れないけれど

*6:例えばヒトラーを生んだように