第二次大戦中のアメリカが、日本人の人生観を分析した本です。
何百年もハラキリという文化が続き、戦時中はカミカゼとかいう自爆テロを発明したジャパン。そんなヤバいやつらを相手に、どうすれば最小限のリスクとコストで降伏させ、また帝国主義から転換させられるか?
できれば皇居空爆*1は無しで決着を付けたいし、終戦後の国家運営は日本人達でやって欲しい。アメリカとしてはソ連との競争で忙しくなるからね。*2
ということで、アメリカが最小限のリソースで目的を達成するべく徹底的に日本を研究した成果のひとつが、この本の中身です。
自己分析のために知人友人に自分のことを聞いた経験は多くの人が持っているかと思いますが、それの国家・民族版みたいな感じです。専門家による国家プロジェクトなので完成度も圧倒的。
★★★
個人的な最大の発見は(西洋人から見た)日本人の二面性。
温厚なのに残虐で、礼儀正しいくせに無礼千万。几帳面かと思えば適当で、義理堅いのに裏切り者。一貫した人間性というモデルを信じる西洋社会にとって、こういった国民性は理解し難いものかも知れませんね。
著者のルース・ベネディクトは、この矛盾をもたらしているのは日本の教育だと述べています。つまり、幼少期は何も強制されずに全てを許されながら育つのに、7歳頃から急に自重*3を強いられるようになることで、日本人の曖昧な性格が形成されているというのです。*4
とても興味深い考察ですが、ぼくとしては「文化的な思考の抽象度」がより影響しているように思います。
主義に拘らず場面ごとに順応する日本人に対して、西洋文化圏では原理原則に拘る傾向にあります。彼らは「宇宙は全知全能の神による完璧な創造物であるが故に、シンプルで美しい構造が深層には存在する」という世界観に生きています。*5とぼくは考えています。
物事には深層原理が存在するという価値観で生きていれば、日々の生活や思考にも原理原則を求めたくなるのは自然な流れ。
つまり、躾が年齢と関係なく一貫しているのも、倫理観の根拠が状況次第で判断がブレる恥ではなく法則だけを見れば良い罪であるのも、原理原則に心身を馴染ませるためだと考えた方が、彼らの世界観に近づけるような気がしています。
★★★
もう一つ面白いのは、「日本人は他人との競争に弱い」という指摘!
ベネディクトによると、これは日本人の恥を嫌う性格と、敗北を恥と考える習慣によるものだそうです。かなり共感できません?
一方で、アメリカでは人は競争によってモチベーションを維持し、互いを高め合うと考えるそうです。競争というのは負けの汚名を着せられるリクスを背負った行為ではなく、実力をぶつけ合うことで発見と学びを得ると捉えています。
さらに、日本人が競争に弱いもう一つの理由が、そもそも日本人は競争を避けて生きているからだ、とも(詳細は割愛します)。
★★★
冒頭で述べたように、太平洋戦争におけるアメリカの本当の目的は、日本の帝国主義をやめさせて個人の自由と責任と平等に基づいた社会像の移植でした。(とぼくは思っています。)その目的は一定程度、達成されているように思います。
が、
一方で日本は結局のところ階級意識から完全に抜け出せてはいないのではないか、自由と責任を本当に理解しているのか?とも思います。
「上級国民」と言った言葉が流行ったり、会社や個人をランク付けしあったりするのは、僕たちが「其の所を知り」、「競争を避ける」ためにあまりにもしっくりくるのかも知れない。
もしくは得意の「和様化*6」をもって自由を輸入したのかな、なんて思ったり。