再生建築の全てを解説するブログ

 既存を活かすからこその価値を😃

村野藤吾の八幡市民会館が再生する?!

こんな計画が進んでいたのですね。




八幡の名建築
村野藤吾によって設計された作品です。

1958年(昭和33年)10月八幡市(現・北九州市)の市制施行40周年を記念し、文化活動の中核施設として、村野藤吾の設計により建設された。1960年(昭和35年)第1回BCS賞受賞。

wikiより)


すぐ近くには福岡ひびき信用金庫本店(71年)や八幡図書館(55年、既に閉鎖されており解体の予定!)など村野建築があります。
八幡駅から皿倉山に向かって伸びる軸線上をこれらの作品が取り囲むまちなみは、他ではなかなか味わえない近代的な雰囲気があってけっこう価値があると思うのですが...。


地元の宝というだけでもなくて、
村野藤吾は、戦後建築で初めて国の重要文化財に指定された、広島世界平和記念聖堂などを手掛けています。(このとき丹下健三による広島平和記念資料館も同時に指定されています。)
2人は「公共建築の丹下・民間建築の村野」としてよく比較されるのですが、八幡市民会館は珍しい村野公共建築なのです。3層構成、装飾性、多義性のある表現などの村野らしい作品だとも思う。


とは言え、市は財政的に余裕があるとはとても言えず、保有する施設をバンバン減らさないといけないという状態であることも確か。


 参考:収入>支出でくらすというあたりまえのこと/北九州市の公共施設マネジメント実行計画



「新しいモノをつくれば未来は明るいのだぁ」という発想が限界にきたからこそ、保有施設を減らさないと立ち行かないからこそ、今ある資源の中から資産になりうるものを選別して、少数精鋭で徹底的にポテンシャルを最大限に活かす活用法を考えていかないと。
北九州市はこれからジェットスターのように急落するであろう人口や経済をどーするのかという、ほぼ無理ゲーに近い状況を切り抜けなければならないですが、この状況はある意味では他の国や都市を先取りしているとも言えるのです。と思う。
国内の都市は大なり小なり同じような問題を抱えてるし、あと数十年もすればアジア中の都市が近代化を終えてタイヘンなことになります。そーゆー未来が来た時に、北九州市が「ぼくはこーやって切り抜けたよ」って言える都市になっていたら、どんなに素晴らしいだろう。


 参考:困難な社会的課題ほど、解決できた時は大きな社会的資源になる



最後に市民の声を。



※6.22 追記




では、また!



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