生まれ変わったら
やっぱり自分になりたいです。ていうか、正確には
生まれ変わるなら今生きているこの環境がまた欲しい!
と思います。
あんな才能が欲しいとか
あの時にこんなことしてたはずだとか
本当にどーでもいい。
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五体満足に生まれて
ちゃんと両親がいて、兄弟もいて、おまけに親戚もやさしい。
両親とも大学卒で物心ついたときから自分は大学に行くということに何の疑問も抱かずにきた。
ゲームはほとんど買ってもらえなかったけれど、部屋中に本があったし、毎晩のように絵本を読み聞かせてくれた。
お金で何でも買えると勘違いするほどべラボーに大金持ちというわけでもなく
当然のように親の金で大学に入って「貴重な学生時代の時間をバイトなんかに費やして無駄にするくらいなら親のスネかじって本読むほうがずっといい!」とかいう余ったれたことをほざけるくらいの余裕のある家庭に育った。
僕の通っていた小学校はごくごくフツーの公立小学校だったわけですが
まわりにいた多くの友達やクラスメイトは
父親が工場で働き母親が主婦orパートといういわゆるブルーカラー的な家庭だった。
友達が誕生日に特別に食べたというステーキが我が家では普通に食卓に並んだりする。
ていうか親が子供と同じくらいにゲームやミニ四駆に熱中している。
家族旅行で京都や奈良の社寺を観に行くとか美術館に行くとか温泉に行くとか全く経験がないらしい。
家も我が家と全然違う。
友達の家に行くたびに、なんかうちとはちがうな、と思うことが少なくなかった。
ほとんどのクラスメートは「あちら側」の住人だった。
どうやら自分はクラスの中でもかなり恵まれているようだ
そう気づいたのが10才ぐらいのころ。
自分が当り前と思っていた環境が実はそうではないらしいということが分かってきた。
努力すればなんとかなるかもしれないと思えるのは
健康で、努力するための場所やモノや仲間がいて、指導してくれる人がいて、衣食住の心配をしなくていい程に守られてきたからです。
分からなければ調べればいいと当然のように思うのは
情報をゲットすればいいと思いつくことができ、情報のありかの見当をつけることができ、それを入手する手段を持っていて、この訓練を受けているからです。
自分なりに努力はしてるつもりだけれど
今の自分の環境は己の努力の賜物だなんてとても言えない。
この環境に感謝、感謝。