アキヒロワタナベの再生建築について

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オルセー美術館展2010『ポスト印象派』

今日は六本木の国立新美術館にて「オルセー美術館展2010『ポスト印象派』」に行ってきました。

流れは以下の通り。
第1章:1886年―最後の印象派
第2章:スーラと新印象主義
第3章:セザンヌセザンヌ主義
第4章:トゥールーズロートレック
第5章:ゴッホゴーギャン
第6章:ポン=タヴェン派
第7章:ナビ派
第8章:内面への眼差し
第9章:アンリ・ルソー
第10章:装飾の勝利

個人的に面白かったのは1、2、3、5、6,7、8の章です。
セザンヌゴッホが見れた上に、印象派〜ポスト印象派の流れがつかめた(つもりになれた)ので超グッドな展示会でした。以下、各章の趣旨と自分の気になった作品と感想を。




第1章:1886年―最後の印象派
そもそも印象派というのは、モネやピサロなどの若い画家たちが1874年に後の印象派展と呼ばれる初めての展覧会を開催したことが始まりみたいです。1880年代の半ばには結構な影響力を持つようになるものの、既に1870年代の終わりごろからは各々の進むべき道を模索し始めていたのだとか。こうした中、1886年に開かれた最後の印象派展には、いわゆるポスト印象派世代の画家たちが登場するのだとか。ここではこの転換期を、印象派を中心に振り返ります。



第2章:スーラと新印象主義
ここではピサロの推薦を受けて最後の印象派展に出展したスーラの作品が半数を超えます。感覚を重視していた印象派の画家とは対照的に、彼は厳密な理論に基づいた配色を行います。それが点描。隣り合わせにおかれた複数の色彩が遠くから見ると混じり合って一つの色に見える光学現象などの知識を応用して考案された技法です。パレットで絵具を混ぜるのではなく、鑑賞者の眼の中で色が混ざり合うのですね。これによってとても明るくて透明感のある絵画に見えるのです。超キレイ!特に下の二つは各部分の色、光と影を表現するために点描が様々に描き分けられている。

■ポーズする女性の習作
■ポール=アン=べッサンの外港、満潮


これらの絵は近くで見ると、「あぁ、点がめっちゃあるやん。」っていうぐらいで終わると思います。もっといっても「よくこんなにいっぱい点描けたな〜。気が遠くなるよね」ぐらいにしか思えません。がしかし、数メートルはなれて観ると、全ての点が混ざり合った状態を確認できます。この瞬間は感動的でした。それをよく実感できいるのが以下の3つ。

■白い霧、焚き火をする若い農婦
■道行く二人
■ハイストの浜辺

ちなみに眼を細めてみることで同様の効果を得られます。これらの点描画は距離によってもの凄く見え方が変わるのですね。青森県立美術館みたい。


第3章:セザンヌセザンヌ主義
2回ほど印象派展に参加するものの、自らの進むべき方向性の違いに気付き、故郷で孤独に制作に励んだ(らしい)。彼が求めたのは堅固で永続的な芸術だった(らしい)。



■サント=ヴィクトール山
実物が見れると思ってなかったので感激。じっくり勉強しよう。本

■台所のテーブル
モノが置かれいているテーブルや奥の家具との消失点がてんでバラバラ。
そんなテーブルの上に、上から覗き込んだような壺や真横から見たような籠が置かれていて、それぞれバラバラな方向から見た果物がちりばめられている。

■ギュスターヴ・ジェフロワ
これも複数の視点が組み込まれている。ほとんど真上からの視点で描かれた机の上の本たちを転々とたどっていくと、正面の視点で描かれた男性へと行きつく。両肘を広げてついた男の人は三角形の構図になっており、どっしりと安定感がある。
こうしてみると、従来の遠近法に頼らない描き方を探していたのかな、と思いました。全体を一つの消失点でまとめるのではなく、むしろバラバラな視点を取り入れる。個々の立体感を幾何学的にとらえ、それらをバランスよく配置しているように見えました。




第5章:ゴッホゴーギャン
ゴッホと言えばあの独特のタッチを誰でも思い浮かべると思うのですが、ここまでの展示を見ていると案外それもある意味ではありえなくはなかったのではないかと思えるようになりました。つまり、あの厚塗りの技法は、スーラが生み出した点描をアレンジしたのではないか?絵筆を滑らせた跡は点から線に発展させたのか?しかも色の使い方もスーラと似てないか?と思ったのです。スーラが初めて出展した最後の印象派展がゴッホの訪れた唯一の印象派展ですが、ゴッホ印象派から影響を受けたんじゃないかな〜


あと絵具自体に厚みがあってそれがと輝きと影を持つのもきれいだった。



第6章:ポン=タヴェン派

黒い輪郭線のなかを単色に塗りつぶすっていうのが印象的。平面的になってる。この2つで特にそう思った。

■水浴の女たちと赤い雌牛
■収穫



第7章:ナビ派
基本的に第6章と印象派同じ。輪郭と単色塗りで平面的な表現。それに文様パターンが加わっているのが面白いと思いました。

■護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川
ゴーギャンを慕ってポン=タヴェンに滞在した画家のひとりセリュジェが、ゴーギャンから直接指導を受けて描いたもの。樹木、影、水面・・・すべてが単一色で塗りつぶされ「これ風景画なの?!」っていうくらいに画面は抽象的になる。

■ペロス=ギレックレガッタ
船と海。海面は一面が和風の風呂敷にあるようなパターンで塗りつぶされている。近くの波も遠くの波も、同じ大きさで同じように描かれている。


■ミューズたち
木の幹の凹凸は中央も端も同じ感覚で円柱っぽさがない。枝葉は手前も奥も同じような大きさ。地面の落ち葉や人の来ている服は奥行きのないフラットなパターンの文様みたい。人の横顔もみんな紙に目とか鼻とか書き足したみたいにぺらっとしている(横顔だからそう描きやすいよね)。

■木々の中の行列
もはや樹木も地面も人も奥の山も、緑の単色ベタ塗り。そらは青と白の文様パターン。




第8章:内面への眼差し

■アンリ=エドモン・クロス
久々に点描が登場しますが、スーラのそれとは全然違う。何が違うか一言で表すと、点が均一だという点です。スーラなんかは点の大きさや距離が様々に調整されているのだが、この絵ではデジタルなドットみたいに均一に描かれている。



こうしてみると、従来の透視図的な、立体的な表現を解体していく流れがあったんですね。なんか今の建築界とか美術界の流れも似ている気が。